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日々を、紡ぐ

成長

今勤めている職場で、期間雇用社員から正社員への登用試験が始まっている。
今年は受験資格が大幅に緩和されて、たくさんの人たちが挑戦する。

これに対して、昨年度までに正社員になった人達からは、

「優秀な人が社員になってくれるなら良いと思う」

「自分たちが何年もかかって正社員になったのに不公平ではないか」

といった賛否両論の声が上がっている。

どこの職場でもそうなのだろうけれど、正規と非正規の間には、
厳然とした区別がある。
出勤簿からして「正規」と「非正規」で分かれている。


僕は「非正規」という言葉が大嫌いだ。


僕が非正規社員であった頃、会社の外で何かの契約や物の売買の際に

「正社員ですか?」

と質問されたときの、あの屈辱感は一体なんなのか。
同じ仕事を、いや下手をすると正社員より良い仕事をしているという自負があったとしても、
世間の人は、そんなところを見てはくれないのである。

僕は6年半かかって正社員になることができたけれど、
そもそも初めから正社員を目指していたわけではない。

一時の「つなぎ」のつもりだった。

7年前、障害者福祉の施設を実質的にクビになった後、1ヶ月半ののちに
僕は今の職場に期間雇用社員として勤め始めた。

市内のハローワークに行く道すがら、現在の職場の前を通りかかった時に
期間雇用社員募集のポスターが目に入ったのである。

朝夕の新聞配達をしながら専門学校の夜学に通っていたこともあり、
バイクの運転には多少慣れていた。

何より、そのときの僕には、自分を生かせる道が
もう他になかったのである。



初めの頃は、とにかくミスが多かった。
前の職場のことを引きずっていて、精神状態がいつまでも安定しなかった。

一人で外を駆け回っているとき、ふとした拍子に「痛み」に襲われる。
それに対しては、ただただ耐えるしかなかった。

大きなミスをして、始末書を書いたこともある。
結局のところ、仕事に身が入っていなかったのだ。
「今」を見ることができなかった。


そうだ、逃げていたのだ。
自分が自分であることから、ずっとずっと逃げていたのだ。
いつか「自分以外のもの」になれると思って。
いつまでも「今」を、自分自身の心と体を粗末に扱い続けた。

そして29歳の秋、痔瘻という病気を発症した。

5度に及ぶ手術、そして、術後の傷はいつまでも完治しなかった。

昨年の秋頃から、下痢をすることが多くなっていった。
そして年末、1年で一番忙しくなる時、便に血が混じった。
仕事中に我慢できなくなって車用品のお店でトイレを借り、
便器の水が真っ赤に染まるのを見て、「もしかしたら・・・」と思った。

痔瘻を患っていたとき、大腸の病気についてある程度知識を得ていたので、
大腸ガンか、もしくは潰瘍性大腸炎のどちらかだろうという予測はついた。

大腸内視鏡検査の結果は、僕の予想通りだった。

病気の発症は、僕の正社員採用試験の前後と重なる。

最終合格者の発表を聞いたとき、僕の中では喜びよりも

「本当にやっていけるのか?」

と言う不安の気持ちの方が大きかった。

これから一生付き合わなければならない病気を抱えながら。

でも。

今、僕はこう思うのだ。

「もし俺が病気にならなかったら、どうだったか」

きっと俺は、一生馬鹿なままで終わっていたに違いない。

自分を大切に出来ず、自分を想ってくれる人を傷つけ、
憎しみを撒き散らしながら、やがて野垂れ死んでいく、
最低の人間になっていたに違いない、と。

病気が、僕の中の何かを変えてくれた。いや、気づかせてくれたのだ。

「もう、自分以外のものになろうとするのはやめろ」

と。

僕の「自分探しの旅」は、そのとき終わったのだ。

そして、病気は僕の鎧を壊した。
自分の弱さをさらしたとき、
たくさんの人たちが自分の周りにいてくれたことに、初めて気がつけたのだ。

今も、憎しみに心を曇らせるときは、ある。

それでも。

今はもう、自分の持っている1日1日を、
宝石のように慈しみながら生きていたい。
1日1日を、愛したいのだ。
たとえそれが、どんな1日であったとしても。

これから、正社員を目指す皆さんへ。

こんな道を歩んできた僕に、何を偉そうに言う資格があるでしょうか。
そして、こんな僕でも、正社員になれたのです。だから、

「山田が出来たんだから、俺だって私だって出来らあ」

それくらいの気持ちを持ってください。

みなさんは、僕には無い良さをたくさん持っています。
どうか自分を信じて、果敢に挑戦してください。

最後に、これは僕が今年の4月3日、正社員採用に際しての挨拶で述べた言葉です。

「本日より正社員として働かせて頂きます、山田 雄です。

 今日、このスタート地点に立つに当たりまして、

 本当にたくさんの方々からのお力添えを頂きました。

 それを思いますと、本当に感謝の気持ちとともに、身の引き締まる思いでおります。

 その気持ちを忘れずに、これからも成長していきたいと思います。

 よろしくお願いします」


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# by january_4stars | 2017-07-22 21:51 | 病と共に | Comments(0)

光る雨

「きょうは、すごい雨がふったね」

「うん、雷もゴロゴロ鳴ってたね」

「ね、雨がふってるときに、さ。お日さまの光が差して、
 
 雨がきらきら光ってた。すごくきれいだった」

「うん、とてもきれいだったね」

「あんな大変な時でもさ。

 きれいなものって、見えるものなんだね」

 「それはきっと、こころが生きてるからだよ」

「そっか、こころが生きてるってことが、希望なのかもね」
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# by january_4stars | 2017-07-18 21:36 | 日々のこと | Comments(0)

傷跡

昨年四月、僕の父方の祖母の壽美子さんが99歳で亡くなった。


幼い頃、僕をおぶって散歩してくれた。
美味しい煮物をたくさん作ってくれた。
おしんこを持って来てくれた。

たくさんのことを、この人から教わった。

なのに僕は、この人を大切にできなかった。

21歳の時に長い旅から帰ったものの、実家にはもう僕のいる場所はなく、
僕は壽美子さんのところへ身を寄せた。
僕が帰ってわずか2週間後に、すい臓がんを患っていた祖父が亡くなったのである。

祖母との生活が始まった。

壽美子さんは、僕のことを本当に大切にしてくれた。
でも僕は、次第に祖母の愛情に息苦しさを感じるようになった。
当時の僕にとってそれはまるで、支配のように感じられた。

祖母は耳が遠く、僕の低い声を聞き取ることが難しかった。
だから会話はいつも、祖母が一方的に話す形になる。

思いが伝わらない。こんなに近くにいるのに。

愛していた人に対して、憎しみの感情を募らせていく。


祖母と暮らし始めて2年が経った時、僕は祖母の家を出た。

引っ越して間もない頃。
祖母が僕の住んでいるアパートにタクシーでやって来た。しかし僕は

「なんで来たの」

と言って、家にもあげなかった。

その後も祖母は僕のいない間に、外に置いてあった洗濯機の中に、
米や日用品を置いて行ってくれた。

僕はお礼の電話も、言葉もなく、苦い思いを抱きながらそれを受け取っていた。

数年後、祖母は脳梗塞で倒れ、病院での長い生活の末に亡くなった。

僕は時々、相模川の近くにあるその病院へ足を運んでいた。
何をするでもない。ただそばにいて本を読んだり、時々話しかけたり、
看護師さんが痰の吸引をする様子を見ていたりした。

僕は、壽美子さんの葬式に出ることができなかった。
父が僕を呼ばなかった、ということもある。

しかし何より、その日、僕の体が動かなかった。
立ち上がろう、行かなければ。

そう思うのに。行こうと思えば、行けるのに。

妹から

「最後なのに会いに来ないの?」

「寝顔きれいだった」

というメールが来た。


僕の中での、あの2年間の記憶。

愛していた人を、憎まなければならなくなったということ。

祖母と二人。あの状況では仕方なかった。
自分への言い訳。

でも

もっと、他の関わり方はできなかったのだろうか。

今となってはこんな思いも、感傷に過ぎないのかもしれない。


今日、熊本行きの航空券の予約をした。
壽美子さんの故郷。

一緒に暮らしていた頃、壽美子さんは僕に

「雄くんと一緒なら、熊本にいけるなあ」

と言った。行きたかったのだ祖母は、熊本に。
僕と一緒に。
でも僕は、壽美子さんの願いを実現してあげることができなかった。
いや、やろうと思えばできたのだ。
僕は、祖母と一緒には行きたくなかったのだ。

こんな旅に、なんの意味があるのかわからない。

ただ、僕の中では熊本という場所は、

「傷ついた土地」

石牟礼道子さんの作品を生んだ土壌。

水俣病、震災、そして豪雨。

壽美子さん。

僕は、ろくでもない人間です。

だからせめて、

僕の目を通して、故郷の景色を見てください。

そのくらいしか、
僕にできる償いはなさそうです。
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# by january_4stars | 2017-07-16 21:24 | 家族のこと | Comments(0)

うんこ

先日 NHKラジオ「NHKジャーナル」のコーナー「ジャーナル医療健康」の中で
「日本うんこ学会」会長、消化器外科医の石井洋介さんのお話があった。


「観便の勧め」

もっとうんこを観察しよう!ということである。

うんこの状態から、大腸ガンを始めとする消化器系の病気がかなり分かるという。
さらに、「観便」のためのアプリもあるとのこと。

その日のうんこの状態を入力すると、アニメっぽいお姉さんの声で、
それに対するコメントをくれるというもの。

聞いていてなんだか笑ってしまったけれど、内容は真剣だ。

石井さんは10代の頃に潰瘍性大腸炎を患い、大腸を全摘して人工肛門を造設する手術を受けたとのこと。
電車の中で便失禁をしたこともある、と。

「自分は全国で一番うんこで苦労した医者だと思う」

その話を聞いて、僕は本当に、大きな励ましと勇気をもらった。
同じ病気を患う者として。

10代の頃に大きな病気を患って、しかも自分の体にあったものがなくなるという経験。
どれだけ大変だったろう。

なのに、それをきっかけにしてお医者さんになって、
排便とうんこという、大切なのにおおっぴらにはなかなか話題にしにくいことを
こんなにも明るく、あけっぴろげにお話される姿勢に、
僕はとてつもない共感を覚えた。

今の僕にとっても、うんこは本当に、本当に重大な問題、というか存在(?)なのである。

僕も、調子が悪いときは1日に10回くらいの排便がある。
お腹にたまるガス、腹痛。そして微熱。外出もままならないときが、ある。

幸い、ここ最近は少し症状が落ち着いている。

先日胃カメラを飲んで、胃と十二指腸にも潰瘍があることがわかった。
潰瘍性大腸炎によって、上部の消化器にも症状が出ることがあるらしい。
しばしば起こる横腹の痛み。

今は、飲み薬と肛門から入れる注腸剤を併用している。

高額になる薬代や検査費用のことも含めて、
こころが折れそうになることが、ある。
しょっちゅう。

でも、こんなふうに「誰かがいる」ということがわかるだけで。
力が湧いてくる気がするのである。

大きなものを失ってから、
そこから、歩んできた誰かがいる。
そして今、一生懸命に生きている、誰かが。

・・・以前一緒に暮らしていた綾さんが

「ねえちょっと来て!」と言って僕をトイレに連れて行った。
ボットン便所の底に、立派なうんこ・・・。

「ねえいいのが出たでしょ〜!」

・・・うん、そうだね・・・。

(その頃、僕は下痢気味でしたとさ)



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# by january_4stars | 2017-07-14 22:00 | 病と共に | Comments(0)

再び、ペンを

先日仕事を終えたあと、相模大野にあるカフェへ立ち寄った。

保育園からの帰りのお子さん二人、男の子と女の子、そして、そのお母さん。

ご飯が来るのを待つ間、お子さん二人が絵を描いていた。
男の子は迷路を、そして女の子はお母さんの顔を描いていた。

「お母さん!」と言って、女の子は自分の描いた絵を見せてくれた。

丸の中に、点で描いた目が二つ、四角いお口。

僕は彼らが絵を描いているのを見て、自分もペンを持ちたくて仕方なくなっていた。
そして思った。

僕はペンを持つことを怖がっていた。

病気の発症以来、ずっと、ずっと。

「本当に絵が好きなら、何があったって描くだろう。

  それをしないということは、僕はもともと絵を描くことなんて好きではなかったのだ」

そんなふうに、自分に言い訳をしていた。



病気の発症前、最後に描いた絵。
麻溝台公園のケヤキを描いた絵。

自分の描いた絵の中では、一番好きな絵。


あの二人のお子さんのように、
なんの恐れも迷いもなく、自分の線を引くこと。

今の自分の中から、果たしてどんなものが生まれるのだろうか。



それを確かめるために、再び、ペンを取ろうと思う。

そしてできることなら、この絵を越えてゆきたいと思う。
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# by january_4stars | 2017-07-12 21:04 | 創作のこと | Comments(0)