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日々を紡ぐ

2024.3.17














僕は

kiroroの

「未来へ」


という歌が


大嫌いだ。


ラジオでこの歌が流れ出すと、


こころがザワザワして


どうしようもなくなる。







こういう歌を聴いて

感動できる人たちというのは

きっと、

人生

うまくいった人たちなんだろうなあ、


思う。

「うまく」

というのは

要するに、


なんだかんだ言っても

家族と良い関係を築けて、

学校や会社といった

人間社会で

それなりにうまくやれて、

男なら女を、

女なら男を手に入れて、


世間が納得するような形に


自分の人生を持っていくことができた、


それが




「うまくいった」



いう意味。










どうして

世の中の人たちは


「親の愛」


とか


「親のありがたみ」


という言葉を


無神経に

ひとに押し付けるのだろう。



自分の言葉を

何ひとつ受けとめてもらえない

虚しさ、

悲しさ。



一番近いはずなのに、

誰よりも遠い。

自分の子どもを

家を存続させるための

道具としてしか

見なさない。




それが、

皆さんのいう

「親の愛」


なのでしょうか・・・?




僕は

そういうものを、

断固

拒否します。







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# by january_4stars | 2024-03-17 21:19 | Comments(0)

2024.3.10




















フランスの画家

ロートレックの作品に、

ふたりの娼婦が

ベッドの中で

微笑みあっている絵がある。



男の欲望に疲れた彼女たちは、

ふたりでいるその時だけ

安らかな表情を浮かべている・・・。












震災の起きた被災地で、


避難所に身を寄せる女性に対する

性暴力が起きている、

ということを知った。


シングルマザーや子どもといった、

より弱い立場のひとが

被害を受けやすいという。







そんなにしてまで、

男という生き物は

自分の欲望を満たしたいのだろうか。




苦痛に歪み、

嫌がる相手を見て、

幸せな気持ちになれるのだろうか。







そりゃ、ね。

僕だって

男です。

性的なコンテンツに

触れていないとは言わない。

残念ながら、

それは認めます。

独身男の性的な処理など、

そんなものです。



だから、

僕にも

加害者になる可能性は

あるのです。



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ただ・・・。

僕の場合、

これまで出会ってきた女性たちが

教えてくれたことが、

僕を

守ってくれているように

思えます。


その中には

子どもの頃、

僕をいじめた

女たちも含まれます。





今にして思えば、

あの女たちも

いま、

どこかで

苦労しているのかもしれない。

それは、

男である僕には

とうてい理解できないような


ものなのでしょう。





いま、


女性たちが抱える苦労や辛さを

すべて

理解することなど、


僕にはできません。





ですが、


関心は


持ち続けようと思っています。



それは、

できることなら、

少なくとも

自分の周りにいる女性たちには

笑っていてほしいからです。





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# by january_4stars | 2024-03-10 19:37 | Comments(0)

2024.3.9













以前、

車を買ったお店で

カレンダーをもらった。

それぞれの月に

かわいいイラストと共に

言葉が添えてある。


「あなたなら、

乗り越えられる」


僕はそれを読んで、

何だか

励まされる気持ちだった。


・・・けど、

しばらく経って

よくよく見てみると


「あなたとなら、

乗り越えられる」



書いてあることに気づいた。


ガクッときた。



ああ、

そうか・・・


「誰かと一緒」

が正しくて、

世間も納得する。

けど、

そうでない人間は・・・?


そう言うものを持たない人間は、

間違っているのか・・・?

おかしいのか・・・?



家を買ったとき、

何人もの人が

「結婚したの?」



聞いてきた。

違うと答えると、

「結婚しないのに


家を買ったの?!」




驚かれた。

彼らに悪気はないことは

よくわかっている。

しかし、

「悪気のない」

と言うものほど

人を傷つけるものはない。







長いこと

ひとりでいると、

そういう気持ちにさせられることが、


あまりにも多すぎる。









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ゆざきさかおみさんの


「作りたい女と食べたい女」


のなかで、


春日さんという女性が


父親と


電話で会話する場面がある。

実家では

「女」

と言うことで

食べるものをはじめ、

様々な場面で

差別を受けてきた春日さん。

実家を離れ、

ひとり生きてきた春日さんに

父親が連絡してきた理由は


「家族の介護をしろ」




春日さんは答える。

自分のことを

家の一部としか見なさず


尊重もされない。

そんな家には

もう帰らない。





そのとき、

春日さんは

自分が

誰と一緒に生きていきたいか

と言うことに気づく。









春日さんは

とても立派だと思う。


そして、

とても

うらやましいとも


思う。


だって、


そんな

「誰か」


出会えたのだから。






引き比べて

僕自身はどうか。


それこそ、

僕を

自分の望みを果たすための存在

としか見なさない父と、

そんな父に

従属する母親。

彼らを憎みながらも

彼らから

もらうものを

僕は受け取って生活している。

そして、


父が遺すかもしれないものを

当てにしている。







春日さんに比べて、

なんて自分は


甘いんだろうと思う。


ひとりで立つ覚悟も、

自信もなく、

力も、ない。




ひとりでは、

いけないのか。


また、

心が揺れる。











# by january_4stars | 2024-03-09 08:28 | Comments(0)

ギリギリ













謙虚であるって

難しい。

つまずいて落ち込んだときには

少しは周りに

頭を下げることができても、

しばらくすれば

また

得意の傲慢が

頭をもたげる。

そんなふうにして

何度同じことを繰り返しても

前に進めていないような、

そんな日々。



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いつも

ギリギリのところで

やっと

気づく。

人との関わりも、

自分の体のことも。

「このまま変わらなければ

ほんとうにダメになる」


そこまでいって

やっと、

必死になって

馬鹿みたいにあがく。














気がつけば、

周りの人たちは

ずいぶん

先を進んでいる。






焦りと

寂しさに負けそうになったとき、

思い出す言葉。




「先に進んだ人たちは

どうなったのかしらね・・・」






ああ・・・。

気がつけば、

いつからか

僕の周りには、

優しい笑顔をくれる人たちが

少しずつ

できた。




そうだ・・・。

あの

いじけた餓鬼から始まったにしては、

僕の歩んできた道も、

まんざら

捨てたものではない。



そう、

この気持ちこそが


僕の

謙虚さ。



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# by january_4stars | 2024-03-03 19:06 | Comments(0)

2024.2.17




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# by january_4stars | 2024-02-17 22:55 | Comments(0)

日々思うこと 感じること